人物百景、第15話は、
行列の絶えない大人気店「世界アトミ食堂」 (大倉山テイクアウト専門カレー) の、跡見 卓也さん、跡見 翔子さん(リリィさん)夫婦に、お話を伺ってきました。
「世界アトミ食堂」
跡見 卓也さん
プロフィール:波乱万丈な青春時代を過ごしたのち、日本料理店で修行を積む。
2015年キッチンカー「世界アトミ食堂」を港北区樽町で開店。翌年、大倉山の現店舗でテイクアウト専門カレー店をスタート。
跡見 翔子さん(リリィさん)
プロフィール: 幼いころから大倉山に住み、母の勧めで高校からアメリカへ留学。
英語教師、出産子育てを経て「アトミ食堂」に合流。卓也さんが作るカレーに合う副菜を担当。
お互いが”いい具合”に補完し合って、天才的にうまいカレーを作り出す夫婦の物語。
好きな映画は | 跡見さん:リトル・ミス・サンシャイン リリィさん:めぐり逢わせのお弁当(インド映画) |
最近はまってるもの | 跡見さん、リリィさん:カレー |
コンビニでよく買うもの | 跡見さん:シャキシャキレタスサンド リリィさん:梅おにぎり |
よく開くアプリ | 跡見さん:ピッコマ(漫画アプリ) リリィさん:iHerb(自然派製品小売)、ROOM(楽天) |
息抜きの仕方は | 跡見さん:運転!車大好き! リリィさん: ビールを飲む |
人生最大の買物は | 跡見さん:車!ハイエース! リリィさん: この人かな。彼を助けるために大金使いました(笑) |
人生最大の無駄遣いは | 跡見さん、 リリィさん :酒。家を買えるくらい飲んできました |
影響を受けたもの3つ | 跡見さん:①インド ②家族 ③事故で怪我したこと リリィさん: ①カバレエ ②アメリカ生活 ③カレー |
100時間あったら | 跡見さん:溜まりに溜まったスマホの写真整理をする リリィさん: カレーを100種類作る |
1億円あったら | 跡見さん:車とお店をグレードアップさせたい。 リリィさん: カレーを食べる世界旅行 |
あなた来週からボストンね
酒井:「ご出身は、どちらなんですか?」
跡見さん:「うまれは福岡で、すぐにこっちに越してきて3才の頃まで辻堂にいて、そのあと小学校前に大倉山に越してきて、そこからずっと大倉山ですね。」
リリィさん:「うまれは横浜市中区で、5歳のときに妙蓮寺に越してきて、小学4年まで篠原西小学校に通っていて、そこから大綱の方に越してきて、アメリカに行くまで住んでました。」
酒井:「アメリカ!?」
リリィさん:「かなりブッ飛んだ話なのですが、高校2年生のとき、母から急に
『あなた、来週からボストンね』
と言われて。
ごくごく普通の高校生活を送っていたのに、高2から急にアメリカに行くことになって、、、
なんの相談もなく、本当に急にアメリカ行きを言い渡されたんです。
もともと父も母も”海外志向”が強くて、逆に私はそこに反発してか、海外に興味もなく保守的に育ていて、、、
そんな私を見兼ねて『無理やりにでも海外に』と両親が思ったんでしょうね。
すでに日本の高校にも両親が全部話を通していて、
英語なんて“はーわーゆー”くらいしか知らないのに、いきなりアメリカで暮らして、アメリカのインターナショナルスクールに通うことになりました。
最初は本当に苦労したのですが、その後アメリカで大学まで卒業をして、帰国して紆余曲折あってから、最終的には、英語の先生になりました。」
人生の転機「インド旅行」
跡見さん:「僕は色々あって高校を中退して、建築業とかをやったあと、日本料理のお店で修業をすることになりました。
16歳から22歳の頃まで、旅館や割烹料理店で日本料理を学んで、そして自分で飲食店を開業しました。
残念ながらそのお店は閉じることになったのですが、25歳で人生の転機となる”インド旅行”に行きました。まぁ、それまでは『ここに書けないこと』だらけですが、本当に色々やってましたね~(笑)」
酒井:「お二人の出会いは?」
リリィさん:「インドに行く前に、mixi(当時のSNS)の同じ中学校のコミュニティで、同じ音楽が好きだったことをきっかけに、連絡を取るようになったのがはじまりで、、、
連絡取るようになってから2年後くらいに、初めてご飯を食べにいって、『今度インド行ってくるから、帰ってきたらまたご飯食べに行こう』なんて話してたら、
インド行ってからSNSも更新されなくなって、どうしたのかな…?って思っていたら、彼がインドで事故に遭っていて、、、」
跡見さん:「インドでの事故後は、意識不明の危篤状態が長く続いて、飛行機に乗ったら死ぬということで、日本に帰国することもできなくて、、、
現地で人工透析を毎日やってもらって、ようやく帰国できることになったのが2か月後。
73㎏あった体重が45㎏まで落ちちゃって、、、鶏ガラみたいな別人になってました。」
リリィさん:「日本に帰ってきても、彼は神経が断裂していて、お医者さんからは
『もう普通には歩けない』
と言われてました。
でも退院したときに、 すっごい満面の笑顔で
「リリィさん!こっち!こっち!」とか言ってて、、、
彼は学歴もないし、かっこいいキャリアもない、唯一誇れるのは元気な身体くらいだったのに、 装具をつけて45㎏に激ヤセした彼を見て、
『絶対私、この人を助けよう!』って、思ったんです。
それまでは、友達としての感情しかなかったんですけどね~。
跡見さん:「当時、お医者さんからは、“一生車椅子” って言われていたので、ふさぎ込んだ時期もあったんですが、そんな時に行きつけの居酒屋のマスターが、
『立てなくてもいいから、おしぼりを開けるとか、
金魚に餌あげるだけでもいいから、お店においで 』
って、僕を家から引っ張り出してくれて。
そこからリハビリを続けながら、小さいキッチンに立たせてもらって、自分が出来ることをやらせてもらって、1年くらいたったら、なんと!杖なしで立てるようになって。
奇跡みたいな話ですが、今こうやって普通に動けるようにまでなったんです。」
世界アトミ食堂のはじまり
跡見さん:「そんなこんなで、アトミ食堂を立ち上げたのが、6年前。
何をすればいいのかわからなかったけど、嫁の貯金を使って、いきなり15万の軽トラ買ってきて。」
リリィさん:「彼に『車を買ってきて何するの?』って聞いても
『わからない、、、煮物でも売ろうかな』って。
『煮物なんか売れるわけないじゃん!』って言ったら
『じゃあ、カレーにしようかな!? でもカレー作ったことないし』 って。(笑)」
跡見さん:「でも、キッチンカー買っちゃったから、何かやるしかない!ってなって。
最初は毎日カレーを試作して、リリィから『まずい!』って言われて、それを繰り返して。
最初に出店した樽町では、1日10食売れれば良いような毎日で、、、
昼と夜の部合わせて、20食売れたら『やったー!』って感じでしたね。
これが世界アトミ食堂のはじまりです。」
酒井:「大倉山の現店舗は、どうやって始められたんですか?」
跡見さん:「キッチンカーを続けていたら、徐々にイベント出店等に声をかけてもらう機会が増えたんです。でも、コンサートとかイベントだと、400食くらい用意しないといけなくなって、
いよいよキッチンカーが手狭になったぞ! という時に、今の店舗を見つけたんです。
ただ建物はかなり傷んでて、雨漏りだらけの状態から、友達とコンクリで補強したり、塗装したり、なんとかDIYで手直しして開店準備しました。」
今では、営業日は行列ができない日がない、と言っても過言ではないほどで
アトミ食堂のカレーを心待ちにしているお客様の行列は、大倉山の日常風景になっています。
世界アトミ食堂
住所 〒222-0037 神奈川県横浜市港北区大倉山1-35-8
WEB https://atomisyokudou.com/
Instagram https://www.instagram.com/atomi_curry_official/