人物百景、第11話は、
当サイトのロゴデザイン等を担当している、妙蓮寺在住のグラフィックデザイナー伊従 史子さん。
名前:伊従 史子(イヨリ フミコ)
プロフィール:新宿生まれ 菊名育ち(悪そうな人は、だいたい友達ではない)
都内のデザイン会社勤務後、フリーランスのデザイナーとして活動開始。
地元の本屋 石堂書店を活性化を目的とした「まちの本屋リノベーションプロジェクト」や、本サイト「菊名池古民家放送局」のデザインを担当。
現在は、石堂書店の姉妹店 「本屋・生活綴方」の店番をしながら、仏像、旅行、銭湯、ローカルなど、独自のカルチャーを探求中。

〈聞き手=酒井〉
靴のサイズ | 25㎝ |
好きな深夜番組 | 深夜のたまり場 THE HANGOUT (J-WAVE 2014年-2016年放送) |
コンビニで買うもの | オリオンビールと、あて |
好きなポテチの味 | のり |
よく見るアプリ | |
息抜きする場所 | 海 |
最後に泣いたのは | おととい しょっちゅう泣いてます。CMとかでも泣ける。 |
最後に旅したのは | 冬に福岡と大阪に。太陽の塔に入りました。 |
人生最大の無駄遣い | 言えない(笑) |
自分へのご褒美 | 妙蓮寺「14区」さんの「バターあんぱん」 |
100時間あったら? | ドラマをひたすら見る |
100万円あったら? | パソコンと、いいプリンターを買う! |
好きな本 | すきですゴリラ |
ギャルになりたいけどなれない高校生
酒井:「どのような幼少期でしたか?」
「幼い頃から祖父に「とにかく本を読みなさい。本だったらお金を出す。」と言われていて、 本屋さんになるのが夢でした。

中学生の頃は、仲のいい女友達と毎日のように遊んでいて、大倉山の不二家に寄ってケーキ買って、
友達の家で大好きな『モモ』の映画を見て、港北図書館で過ごして、、、みたいな。
高校は女子高に通っていましたが、
ギャルに憧れているけど、ギャルになれない高校生でしたね(笑)

進路を決めきれず迎えた高3の夏に、小学生のときに通っていた、妙蓮寺の絵画教室の先生が美大出身だった影響で
『自分も美大に行くんだ』と思っていたことを思い出して、美大に進学しました。
酒井:「美大では、どんな生活を送ってたんですか?」
友人の誘いでデザイン会社へ
美大時代は
「とにかく自分のしたいことをやる」と決めていて、
1年生のころから他学年の授業に出たり、
自分の学びたいことを学んでいたり。
この頃は、与えられることに対して反発していた頃で、 自分の興味の赴くままに、自分の目で確かめたい気持ちが強かった気がします。

あと、その当時興味があったことが『映像』だったので、チームでCM制作や、映画制作をしてました。
閉鎖的に感じた大学よりも演劇表現の方が面白くなってしまったので、大学を中退して演劇を仕事にしてみたものの、忙しすぎて。
稽古から立ち会ってチームの一員として関わる理想的な現場づくりができず、おまけにお金にもならない、、

そんな、先行きに疑問を感じていた時に、予備校時代の友人からデザイン事務所の誘いを受け、
デザイン会社でデザインの仕事を始めることになりました。
言葉で世界をつくっていく
友人の誘いを受け、デザイン会社で働くことになった伊従さん。
デザインを基軸とした課題解決を目指す会社のグラフィックデザイナーとして
本、空間設計、企画書、ミュージアムや教育関係など、ジャンルを問わずオールマイティに様々な仕事に従事していました。

酒井:「デザイン会社時代の話を聞かせて下さい」
「グラフィックデザインの他にCI (コーポレート・アイデンティティ) について学んで、、色々なプロジェクトに参加させてもらっていました。
上司の恩師が、
“アジアCIの父”と言われている有名な方で、その方と一緒に仕事をする機会があって、それは自分の中では大きな出会いでした。
物事の柱になる「理念」を作るということが
すごく戦略的で、生活的で、人間的でもあることを知って、すごくおもしろいなと思って、

元々、私は感覚的な人間でしたけど理論的な考えを学びました。
理念をつくるときはまず『仮説を作る』ことに重きを置いて、依頼者やそれを取り巻く社会的要素から言葉で一つの世界を作ります。
下地になる設計図を言葉で作る作業に、最初はとても抵抗があったけど意外とキライじゃないなって思いました。
そしてそこで、
“産み出すことの大変さ”
を学びました。
当時は経験が浅かったので、発想の方法、引出しの量が圧倒的に乏しくて、心がコテンパンにされることも何度もあり、「私、CIできないかも…」と感じることもありました。
コンビニめしを食らう生活
「出社時間は遅めなんですが、11時に仕事を開始したら、その後は終わりはなくて、
表参道に構えていた事務所は、マンションの一室を借りていたので居住スペースもあって、寝泊まりに不自由しなかったこともあり、泊りで仕事をすることも珍しくなかったです。

絶対に帰りたいというタイプではなかったから、「帰らなくてもいいか」という感じで
コンビニのご飯を食べて、たまに友達と夜の銭湯行ったり、明け方までラジオ流しながら仕事して、苦ではなかったけど、漠然とした不安はずっとありました。」

デザイナー 伊従史子
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